いつも+2

「明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。」(blog-風景と情景-より)

幸福・・・というネーミング

 駅前に幸福の文字が入ったのぼりが立ち、ビラを熱心に配っているので「幸福・・・」って何だろうと受け取った。ビラを良く見てみてとても考えさせられた。色んな意見をはっきり主張するのはいいと思う。でも、特定の国名をあげての、防衛の公約が大々的に書いてあるし、この母体って宗教なんだ。宗教って国を越えて、人の心を救済するのでは?それに幸福って、そんなんに具体的なイメージがあって、こうすれば実現するってものでもない。幸福は各自の心の中に湧く密かな泉のようなもので、シミジミ味わうもの。
 「これが幸福だー」なんて幸福像を宣伝するほど、幸福は色あせるし、何らかの幸福像がイメージに刷り込まれてしまうから、逆に不満感という新たな不幸を生んで人迷惑。幸福はメガホンで声高く叫べば叫ぶほど、イメージダウンすると私は思うけど。
 宗教家が政治にタッチしてはダメとまで思わないが、その役割は、政党を作って政権をとって云々では無いと思う。宗教的な(ある意味理想論)という観点を現実の政治に注ぎ込んで、目先の利害関係等を越えた考え方も示すとか、最低限、国境を越えて人の相互理解を生み出そうという姿勢と説得力がなくてはいけないと思う。仮にビラの主張を現時点では正しい政策と仮定しても、この党があげている国の人(今は無理でも)が聞いて、日本人と話し合ってみたよう、自分たちも考え直してみようと思うような論じ方だろうか。
 国際的にも要らない緊張感をかき立てて、危機を招きかねないと心配するよ〜。。。今話し合えない、理解し合えない人が、少しでも話し合えるように道を作るのが、宗教団体の役割ではないだろうか。