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「明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。」(blog-風景と情景-より)

2019.7.21の参議院選挙結果〜開票の信頼性について

2019.7.21の参議院選挙結果は、れいわ新選組の活躍に希望を持ったが、選挙前の報道もおかしいし、大阪・東京などの大都市の結果にも不自然さを感じる。

感じるのは勝手だろうと思うので、大いに不審感を感じて、今回惜しかった方々の、次の衆議院選での当選を祈ります。

れいわ新選組も5人ぐらいは通って欲しかったし、大阪の立憲民主党「かめいし倫子」・共産党の「たつみコータロー」両候補も惜しかった。「おしどりマコ」さんも残念だった。逆に皆さん、そんなに上位当選の方々を支持されているのかなと思う。

今すぐに、不正があるから、どうこうして欲しいとは思いませんが(無理だし)、できるだけ早く、不利を跳ね返して正直な人が政権交代を果たし、どこから見ても公明正大な選挙が実施される国になりますように。議会は世襲政治家私有財産ではない。

 

孫崎享氏「不正選挙の明白な証拠!選挙結果が操作されている。報道の自由度世界72位の日本」ワールドフォーラム2016年5月

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強姦の無罪判決に、改めて考えてしまう「人間性とは」

年の初めに、強姦冤罪事件の国家賠償請求訴訟としてニュースで取り上げられた事件が気になって、ブログにも書きました。

次々と出る、SNS上の見当はずれの非難が、少女時代に母に影響されて、一旦は偽証したが、成長後に自ら告白した娘さんを傷つけないかと、とても心配でSNSにもコメントをしました。

なぜそんなに心配になったかという事を考えてみると、自分の育った家庭環境が、誰にでも心置きなく相談したり、思った事を友人にそのまま素直に言えない状況だったからで、それは今でも涙が出るほど悲しい事でした。

ただそれはこんな事件に成っているような、酷い事ではなく、自分に直接肉体的な辛い事があったわけではないです。

我が家は住込みの職人がいつも5〜10人程度は居た、家内工業を営む家でした。
父は朗らかで仕事熱心な人でしたが、ちょっと金銭的にも楽観主義で派手に事業をしていた割には、最後に失敗して財産を失いました。けれども景気の順調な時代には、そんな人は、女性に人気があって、自分もモテるという満足感があったようでした。女性との交際は、深いものから、軽いガールフレンド程度を含めていくつかあったようです。

中学生時代に、幼い時から長く同居していて家族同様だった女性と(途中からは家を別に借りていた)、深い関係だと知った時は、その女性にも父にもとても嫌悪感を感じました。それはよくある事かもしれないが、中学生ぐらいの子供には辛かった。

恥ずかしくて、高校時代にとても親身になって下さった先生に話すまでは、誰にも言えませんでした。

もちろん友達には言えないいし、男性は浮気をするのだと、最初から警戒心を抱く状態になりました。

そんな下地があったので、2019年初めの、強姦冤罪事件の国家賠償請求訴訟に関して、「うそ」をついた女性への非難には、複雑な事情があって、本当に犯されていた母親の代弁的な偽証を少女時代にしてしまい、成長後に告白したために世間からバッシングに遭うような事になった女性に大変同情しました。

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明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。

「明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。」

最近、がん関連の事を検索をしていて見つけたブログが、「風景と情景」です。
そのブログは各記事の最後に、この言葉が書かれています。

患部が同じ頭頸部で、偶然にも病院も同じ「大阪国際がんセンター」だったが、この方が入院されていた時には、ブログのことは知らなくて、お会いすることはできなかった。彼が入院されていた時には、後遺症のために今より回数多く通院していたので、ブログを知っていたら是非お目にかかりたい方だった。

すごくマメにブログを書かれているし(ほぼ毎日)、書くのが好きという言葉からも、おそらくお元気になられたらブログを再開するなり、閉じる場合は何か一言でも書かれると思うので、中断は本当に気にかかる。

でも存命かどうかということを超えるぐらい、彼という人の心はフレッシュで暖かく、私の心の中では、ずっと生き続けると思う。

 

心に向かい合う

晦日に、闘病と考えた事を振り返っておられます

j-45.hatenadiary.org

 

誘惑の飛田新地

入院以前のブログでは、ひょうきんな一面もうかがえて面白い

j-45.hatenadiary.org

 

この「明日もいい日にしてみせますよ。ではまたね。」という言葉は、

毎日、日記の終わりに「ではまた明日」と書いておられた 西田英史さんを思い出さずにはいられない。
また彼は、ある日の日記に、こうも書かれていて忘れられない。
「朝起きた、生きていた。全世界に感謝した」

『ではまた明日』(西田英史)についてはまた改めて書きたいと思いますが、
詳しく紹介されているブログへのリンクだけしておきます。
ドラマ『命燃えて』の原作なので、ドラマでご存知の方も多いかもしれません。

ameblo.jp 

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大阪国際がんセンター

昭和天皇と国民と

以下は元は自分が書いた文ですが、私がよく拝読しているブログに掲載していただいたので、それを引用します。

 

昭和天皇と国民と。京都御所に戻り、皇居は大戦祈念館等として開放すべきだった。   井上恭子

2015-09-16 | 学芸

以下の論考は、井上恭子さんが、わたしのfbに寄せられたものです。
明晰で落ち着いた論考で、なるほど、と思いましたので、ご紹介します。
武田


(クリックで拡大)
      京都御所
   写真は宮内庁

 

  太平洋戦争で日本人も悲惨な体験をしたのに、先の大戦は間違いではなかったし、戦前の日本人はすばらしかったと言い出す人が絶えない。戦前の特権階級の子孫に多いが、普通の人々にも少なくない。美化が頭の中で反響しているようで、井戸の中から広い空の下に出ない。

 それは戦争の最高責任者がケジメをつけなかったから。

 日本人は過去の事実を「過ぎた事」と、水に流す傾向がある。戦争には複雑な経緯があり、責任は単純ではないが、不慮の事故や天災ではない。たとえ部下が自分の意図を逸脱したとしても、結果責任を負うのが最高責任者。また最高責任者に責任を取らせないようにした、当時の占領軍や内閣にも、民主性の育たない国にした責任がある。過ちに陥った原因や経緯を教訓にしようとせず、風化させようとしてきた。

 戦後、天皇は伝統文化の家元として京都に戻り、皇居を大戦記念館と病院・防災公園・仮設住居などとして開放すべきだった。

 私は若かりし昭和天皇も、時代に翻弄された人だと思うので、責める気はないが、皇居を開放しなかった事と、戦後、真実を詳述されなかった事には責任があると思う。香淳皇后と共に葬られた天皇の日記には、知られざる真実が書かれていたかもしれず、複製もせずに葬った行為は、全く天皇にも国民にも罪な事。

 無謀な戦の「賭け」に陥った原因を深く知って、2度と繰り返さない国になるために、皆がより深く知り、考える必要がある。そして憲法九条を守り、世界中で救援活動などに貢献する国であり続ければ、いずれ近隣国とも和解できるだろうし、いつまでも旭日旗を振り回して、ナルシズムに陥ったりしないと思う。経済力が世界何位とかでなく、自然も、手仕事も、科学も同じ位大切にする魅力のある真珠のような国を目指すべき。

 今のような状態が続くのは、米国の間接的占領政策を利用して、自分の利益や地位を確保したい人が、なぜか各界のリーダーとして権限のある地位に就き、ますます深い蟻地獄を作っているから。それに関して論じようとすると、昭和天皇の責任の所で思考停止になってしまい口を閉ざす。責任を明確にしてケジメをつけた後、それ以上は責めないという方が清々しいと思う。



井上 恭子


以下は、井上さんの推す名言です。

 

憲法について」masato 原発避難農民さんの名言

 

 

日本国憲法は不戦を世界に誓った理想憲法だと思っています。理想なのだから実践するのは難しい。その難しいことを敗戦を機に世界に誓ったのだ。
現実の世界政治に対応した憲法解釈を追求するといずれ核保有国を目指すことになるだろう。理想だからこそ誇れるし崇高だからこそ周辺国の信頼を得るのだ。


憲法9条誕生の経緯:元首相幣原喜重郎,吉田茂の言葉

憲法9条がなぜ書かれたか、いかに合理的か、とても良く解ります。

●長いですが、ぜひ下記サイトのリンク先の内容をご覧下さい。

 (長文ですが、これを読まずに押付け憲法と断定するのは、証拠を見ずに状況のみで犯人を断定しているようなもの)

 

・Blog【こだわり棟梁のまごころ】『小野田寛郎さんの訃報…時代は遠ざかりますね』より

  http://blog.seikikensetsu.co.jp/?eid=1422977  

実際の戦地での経験がある方が90歳代、だんだんと戦争の記憶が風化し、戦争を全く知らない世代が大部分になっています。
高齢者人口の比率が拡大する中で、若いフレッシュな気持ちで、今後の社会を動かしていってもらう事を期待しますが、大切な事が忘れられないかという危惧もあります。それは『敗戦』と言わず、『終戦』という新しい言葉を使ったことに、永遠の平和への決意を感じた事。
最近、終戦直後の憲法制定時の経緯について、事実を知らないまま、勇み足での議論があるかと思い、参考資料を拾い出してみました。長文が多いですが、ご一読頂ければ幸いです。
平和憲法誕生の経緯、目的と意義、まとめ》
幣原喜重郎・・・・深謀遠慮の宰相」:小海キリスト教会牧師所感
http://d.hatena.ne.jp/koumichristchurch/20130307/p1
《吉田元首相による回想》岩田行雄の憲法便り:日刊憲法新聞
http://kenpouq.exblog.jp/20491858
*もう販売していない本ですが、タイトルがいいと思う!
「無事がいちばん—不景気なんかこわくない」横井庄一
  中央公論社 (1983/08)

 

◎【日本国憲法の誕生】(国立国会図書館)

 http://www.ndl.go.jp/constitution/

膨大な資料なので全部読む訳にはいきませんが、こういう資料があるという事、いつまでも公開されるべきだという事でリンクします。(転載等については、許可用のフォームから申し込む事。特定秘密保護法の施行で非公開にされてはいけないので、主要部分だけでも各自記録する必要があるかも。)

 

●【日本国憲法】(憲法に関するサイト:リンク集など)

 http://kenpou2010.web.fc2.com/index.html